気づきのすゝめ

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鋼メンタル養成!「嫌われる勇気」ダイジェストー3

こんにちは、平成の福沢諭吉と呼ばれたい、Yutoです。

 

前回に引き続き、20分でわかる「嫌われる勇気」よろしくお願いします。

 

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前回、課題の分離が、人生をシンプルにし、幸せになるために必要だと述べました。

今回はもう一つの概念である「共同体感覚」についてご説明します。


「共同体感覚」とは、この世全て(宇宙に存在する森羅万象)が仲間であるという感覚です。

 

「⁉︎」じゃないですかね?僕も未だに理解しきれていないのです。考えて考えて考え続けて、体に考え方が馴染んでくる頃に、少しわかり始めます。生活のあらゆる場面で、心の片隅に起き続けると、見方がわかってきます。そんな感覚です。

 

この話をする際、哲人は「分業」というものについて、原始時代に遡ってその本質を説いています。


今の時代、標準化と効率化の負の側面と言うべきか、トップダウン経営、統制の時代ですからこの話は自分に別の視点を提供してくれます。

まず、仕事の本質では、仕事に優劣はないと哲人(アドラー)は考えます。

 

狩が得意な者は狩を。武器作りが得意な者は武器作りを。という分業によって、人は自分の特性を活かし、生きてきたと。この世界において、仕事の優劣はありません。どちらがいなくても困るのですから。人は元来、一人では生きて行けなかったのです。

 

これは、現代でもそのはずなのです。車を売る人がいるから製造の人もお金を得て、生きてゆけるのです。もっと大きく見ると、生態系においても、ピラミッドを構成するすべての生き物がいるから、今、このバランスで生きてゆける。

 

宇宙全体を、一つのシステムとして捉え、自分はそのシステムの中で、社会へ尽力をする。確かに、表面上、地位や権力のせいで、不平等を被っていると考えるかもしれません。しかし、本質でみてください。賃金や生活に差はあれど、仕事をし、貢献をしている限り、人々、否、森羅万象は仲間であるはずなのです。
と、いうのが「共同体感覚」の考えです。

 

そして最後に。幸福とは、社会に貢献しているという実感、「貢献感」であるというのです。貢献感というのは、わかりやすく言うと
自分の仕事が宇宙のシステムの一部として貢献しているという誇りのようなものかと思います。

 

これが、「共同体感覚」です。この主張によって、何人もの仲間がアドラー元を去ったと言います。

理解できる人と、できない人がいるのは、きっといつの時代も同じでしょうし、きっと理解しようと考え続けるような人は、マイノリティでしょう。

 

しかし、その人達は、きっと幸福な人生を歩んでるのだと思いますし、僕自分もこの考え方から、少し視点が変わりました。

 

皆さんも、このダイジェストを読んで、アドラーに興味を持たれたかもしれません。是非、本を読んで、より深い文脈と合わせ、「シンプルで幸福な人生」について、考えてみてはいかがでしょうか?