進撃の巨人から学ぶ。自立のすゝめ
こんにちは、平成の福沢諭吉になりたい、Yutoです。
最近は進撃の巨人のアニメを見直しているのですが、その進撃の巨人から、多くのものを学んだな、と感じ、つい発信せずにはいられなかったので、今回は、僕が進撃の巨人から学んだことと、他の漫画からでも、何かを学び取る方法論について述べます。
進撃の巨人は、ご存知の方も多いかと思いますが、登場人物達が、人を襲う巨人と戦う物語です。物語の構成自体も面白いですので、漫画自体も楽しめます。まだ読まれていない方は、是非読んでみていただきたいです。
物語に出てくる人々の大半は、巨人から身を守る人、壁の中(街を、巨人が侵入できないように巨大な壁で囲んでいる)で大人しく住んでいる人です。
一方、巨人の生態を調べることで、人類が巨人に勝利する方法を模索するため、巨人を捕獲し、調査をする集団もいます。その集団を「調査兵団」と呼び、主人公エレンも調査兵団に配属しています。
巨人に関してはほとんど情報がなく、個々の発想力が重要となるります。作中で、調査兵団ら、多くの団員や市民を犠牲にしながら少しずつ巨人を解明してはいますが、それでもまだまだわからないことだらけです。そんな中、調査兵団は命を賭して戦います。
常に情報不足の世界においては、判断を誰かに託してしまいたいと思うのが普通です。人の命を背負うなら、別格でしょう。しかし、調査兵団は、「判断を託す」ことも、「自分の選択」と読み手に教えてくれます。調査兵団の兵長リヴァイは、エレンにこう言います。
「何が正しいかなんて、後にしかわからない。他人を信じるのか、自分を信じるのかも。だから、せめて今、少しでもお前が後悔しない選択をしろ」
他人に任せる、頼るということは、一見、他人へ責任を譲渡することと思われがちですが、「任せる」ということは、自分の選択で、任せた責任は自分にある、ということなのです。
今の時代、IT技術が世界を巡り、たくさんの情報も流れています。誰が、iPhoneの登場を予測できたでしょうか。iPhoneの登場で、世の携帯電話は大きな打撃を受けました。今で言うなら、AIです。AIによって、人間の仕事はなくなる、などと言われています。ここで、この未知の領域を巨人に置き換えてみてください。
AIによってあなたの仕事は、なくならないと言われてるかもしれない。しかし、そんなことはわからないのです。常に情報不足です。会社が守ってくれる保証もありません。だからこそ、自分は常に「今の環境」を選択をしているという感覚を持つこと。そして、過去の選択の結果が今であり、その責任が自分にあるという感覚、即ち、「自立」が大切なのです。「進撃の巨人」には、人々が自分で選ぶことの大切さを、このシーンだけでなく多くのシーンで見せてくれます。
僕は「進撃の巨人」から「自立」を学びましたが、皆さんは違うものを学んでいるかもしれません。また、他の作品から様々なものを学んでいるかもしれません。今までこのような視点で漫画を読んでいなかったという方は、ぜひ、漫画の中で、自分だったらどうするか。今の自分の状況と置き換えるなら何を物語から学べるか。を考えて読んでみてください。きっと、もっとその漫画を好きになるかと思います。
鋼メンタル養成!「嫌われる勇気」ダイジェストー3
こんにちは、平成の福沢諭吉と呼ばれたい、Yutoです。
前回に引き続き、20分でわかる「嫌われる勇気」よろしくお願いします。
前回、課題の分離が、人生をシンプルにし、幸せになるために必要だと述べました。
今回はもう一つの概念である「共同体感覚」についてご説明します。
「共同体感覚」とは、この世全て(宇宙に存在する森羅万象)が仲間であるという感覚です。
「⁉︎」じゃないですかね?僕も未だに理解しきれていないのです。考えて考えて考え続けて、体に考え方が馴染んでくる頃に、少しわかり始めます。生活のあらゆる場面で、心の片隅に起き続けると、見方がわかってきます。そんな感覚です。
この話をする際、哲人は「分業」というものについて、原始時代に遡ってその本質を説いています。
今の時代、標準化と効率化の負の側面と言うべきか、トップダウン経営、統制の時代ですからこの話は自分に別の視点を提供してくれます。
まず、仕事の本質では、仕事に優劣はないと哲人(アドラー)は考えます。
狩が得意な者は狩を。武器作りが得意な者は武器作りを。という分業によって、人は自分の特性を活かし、生きてきたと。この世界において、仕事の優劣はありません。どちらがいなくても困るのですから。人は元来、一人では生きて行けなかったのです。
これは、現代でもそのはずなのです。車を売る人がいるから製造の人もお金を得て、生きてゆけるのです。もっと大きく見ると、生態系においても、ピラミッドを構成するすべての生き物がいるから、今、このバランスで生きてゆける。
宇宙全体を、一つのシステムとして捉え、自分はそのシステムの中で、社会へ尽力をする。確かに、表面上、地位や権力のせいで、不平等を被っていると考えるかもしれません。しかし、本質でみてください。賃金や生活に差はあれど、仕事をし、貢献をしている限り、人々、否、森羅万象は仲間であるはずなのです。
と、いうのが「共同体感覚」の考えです。
そして最後に。幸福とは、社会に貢献しているという実感、「貢献感」であるというのです。貢献感というのは、わかりやすく言うと
自分の仕事が宇宙のシステムの一部として貢献しているという誇りのようなものかと思います。
これが、「共同体感覚」です。この主張によって、何人もの仲間がアドラー元を去ったと言います。
理解できる人と、できない人がいるのは、きっといつの時代も同じでしょうし、きっと理解しようと考え続けるような人は、マイノリティでしょう。
しかし、その人達は、きっと幸福な人生を歩んでるのだと思いますし、僕自分もこの考え方から、少し視点が変わりました。
皆さんも、このダイジェストを読んで、アドラーに興味を持たれたかもしれません。是非、本を読んで、より深い文脈と合わせ、「シンプルで幸福な人生」について、考えてみてはいかがでしょうか?
鋼メンタル養成!「嫌われる勇気」ダイジェストー2
こんにちは、平成の福沢諭吉になりたい、Yutoです。
前回に引き続き、20分でわかる「嫌われる勇気」内容編を記します。
「嫌われる勇気」では、人生をシンプルにし、幸せになるためには、大きく分けて2つの概念を理解し、能力を育む必要があると説いています。
1つ目が、「課題の分離」です。今回の内容は、この「課題の分離」に関してです。
言葉通り、自分と他者との課題を切り分ける、ということです。自分は自分。他人は他人。
では、何が自分の課題で、何が他者の課題なのでしょうか。
アドラー(文中では哲人)は、その課題の責任を、誰が最終的に背負うのかということが、課題を分ける際の指針だと言っています。
例えば、勉強をしない子供と、それを叱る親がいるとします。この場合、課題は「勉強しない」ということです。この「勉強しない」ことの結果を最終的に受け止めるのは、当然「子供」であって、「親」ではありません。よって、親が子供の課題にあれこれ言うのはおかしい、ということですし、「勉強する、しない」は子供が選択するべきである、という考え方です。親は何もしなくていいかというと、それは違って、親はあくまで「長く生きてきた上でわかる、勉強するメリット、デメリットを伝える」ことくらいがちょうどいいということですね。
自分の人生をシンプルにし、豊かにするためには、課題を分離する必要がある。嫌われることもあるでしょう。しかし、嫌われたくないくせに、人生をシンプルにしたい、幸せになりたい、というのは、筋が通らない。ということです。
こういう疑問を持たれる方がみえるかもしれません。自由って、自分勝手ってこと?と。
「課題の分離」だけでは、そうみえるかもしれません。しかし、もう一つの概念、「共同体感覚」が、そこを補完し、シンプルで幸福な人生を歩む鍵になってくれるのです。
次回では、「共同体感覚」に関して述べます。
鋼メンタル養成!「嫌われる勇気」ダイジェスト
こんにちは、平成の福沢諭吉になりたい、
Yutoです。
皆さんもご存知かもしれません。ドラマにもなっている「嫌われる勇気」。
非常に人気が高く、本屋の自己啓発の本棚には必ずと言っていいほど置いてありますね。

僕自身、アドラー心理学に関して学んでみて「嫌われる勇気」を読んでみましたが、非常にわかりやすいです。
しかし、題名を嫌われる勇気にしてしまったことで、『自由とは、他者から嫌われることである』の部分が主旨かのように語られてしまっているところが惜しいのです。
さらりと読み過ごす方には、アドラーや、作家さんの伝えたいことが伝わらないのでは?と感じるのです。
そこで、今回のこの導入と他2回の3回に分けて、「嫌われる勇気」を20分で理解してもらえる、Yuto流ダイジェストを投稿しようと思います。
次回から内容に入ります!期待していてください!
宇宙兄弟に学ぶ
みなさんこんにちは
いつかは平成の福沢諭吉、Yutoです。
本日は僕の大好きで大切にしている漫画、宇宙兄弟から学んだことについて語ります。
この宇宙兄弟は兄、ムッタが弟ヒビトを追いかける形でストーリーが進みます。
兄ムッタは、物語の冒頭部では、自分はこの程度のものだと、幼い頃の夢であり、弟ヒビトが叶えた宇宙飛行士を諦めていました。
しかし、一つ一つの審査に合格してゆくにつれて、冒頭にあった「自分の限界」に対して目を向けなくなります。
ムッタは、宇宙飛行士になってからもそうです。彼は、自分がやりたい、叶えたいことの中から、今、自分がやれる最大限を行動しています。
漫画の中だから、と言ってしまいたいところですが、現実もこういうものなのかもしれないと僕は思うのです。
勿論、ムッタも宇宙飛行士の夢が諦められずにジョブチェンジ(クビにより半強制的に笑)したわけで、今の仕事を最大限やり続けることに意味がある、ということではありません。
ただ、この作品の中での表現でいう、自分の中の一番のキンピカに向けて、主体性を持ち、素直に行動すれば、自ずと道が開けるのではないか?と考えました。
自分への言い聞かせの部分もありますが、皆さんにも、何か感じてもらえたらと思います。
働き方改革の向こう側
平成の福沢諭吉、といつかは呼ばれたいYutoです。
最近、働き方改革なる言葉が社会で飛び回っております。僕自身、休日取得者が少ない会社に勤めておりますので、この働き方改革は、大賛成です。 (僕はちゃんと休日をいただいております。)
しかし、働き方改革を行ったその先に、皆が幸せに生活をしているイメージは湧きません。
プレミアムフライデーで、月末金曜日は15時終わり!さぁ、消費しよう!とは言うものの、そのプレミアムフライデーを成り立たせるために、その前日や次週の月曜日は残業です。というのは、おかしな話です。時間がシフトしただけですね。
同じような話で、週休2日、休もう!となれば、他の5勤が残業増えるのでしょう。おかしな話です。
ここで、今回僕が休日に関して考えていることをお話しします。
皆さんは「てこの原理」をご存知ですか?
知ってるという方がほとんどかと思いますが、
支店・力点・作用点があり、支店と作用点の距離に対する支店と力点の距離の比が大きいほど、楽に物を持ち上げられるというやつです。
僕は、休日とは、このてこの原理を仕事に応用するためのものかと思います。
少ない力でより多くのことを行うということは、かしこまった言い方では、よくご存知、「生産性を上げる」ということですね。
例えば、僕は今、中小企業診断士の資格勉強を毎日しつつ、本を休日に1冊以上読んでおります。
最近では、毎日少しでも自分が何かを学べなければ、気持ちが悪いと思える程、強い習慣になりました。
僕が何をしているのかはどうでもよく、新たな学びがあると、今目の前に広がる光景を、別の視点から見られる、ということです。会社の当たり前を、疑問に感じることが多くなってくるのです。これ、要る?という感じです。
自分がその仕事しかせず、余暇の時間も、慣れたことをする毎日になると、自分の仕事を会社の常識の枠でしか考えられなくなります。実際、2年ほど前までは僕もそうでした。もちろん、今も何かしらの枠の中にはいると思います。しかし、会社の枠だけで物事を捉えることはなくなりました。
かのPanasonic創始者、松下幸之助さんは、日本で初めて週休2日を取り入れた方と言われていますが、彼の言葉に、「休養1日、教養1日」という言葉があるそうです。松下さんも、休みの日に学びを得、仕事に活かして欲しいと考えたのでしょう。
だからと言って、休日のうち片方は本を読んだ方がいい!といっているのではないのです。
一番大切なのは、新しいものに触れていくということ。未知のものを知るというのは、自分の視界を広げてくれると思います。そして、その広がる視界で、今まで当たり前だったことを、別の視点から見られる、大きな「てこ」に繋がるのだと、思います。
皆で、現状の大きな問題を、それ以上のてこでひっくり返しましょう!
それが、働き方改革の向こう側で、僕がイメージする世界です。
即戦力になる考え方ー3
この章でこの話は最後にしようと思います。
前回、5W1Hを投げかけ続ける力こそ、論理的思考力だと僕の定義をご説明しました。
5W1Hとは、疑問詞の頭文字をとったものです。
What, When, Where, Why, Who, How
この6つから、頭文字をとったものですね。
特によく使う疑問詞は、Where, Why, Howかと思います。
これを投げかけるとは?という話ですが、
例えば農業の話になります。Aさんはお米の農家さんです。
収入を見ると、どうも今年は昨年よりも悪いぞ。となります。収入が減るわけですから、大変なことです。調べて見るとどうやら、収穫量が少なかったようです。
ここで、収穫量は「なぜ(Why)」少ないのか、あるいは、「どこが(Where) 」少なかったのか。と、疑問詞を使って詳しく見ていきます。
Aさんは収穫量が少ない原因を考えたとします。
収穫量が悪いということの原因を、どう考えるでしょうか。例えば、天候が悪かった、Aさんの田んぼは今年は病気が多かった、粒が小さいから重さが少なかった、あるいは粒の数が少なかった…というように、いろいろ考えられます。
田んぼの中でも、いいところと悪いところがある。とかも考えられます。
今、ごちゃ混ぜに羅列して書きましたが、これは「なぜ」と「どこが」が混ざっていて、何から手をつけたらよいのやら、という状態です。
そこで、それを整理するのに使うのが、ロジックツリーというものです。ここで初めて、分解の概念が出てきます。
簡単なものですが、今年の原因は、登熟期の悪天候でした、となりました。どの時期の何が、まで原因を絞るために、どこ?なぜ?と細かく見ていくわけですね。
もちろん、そこで終わってはいけなくて、ではどうすれば良いか?をこれから考えることが問題「解決」では大切です。
もっと詳しくも書きたいですが、長くなると読むのも疲れますし、ここまでで。
僕は、このように論理的思考を用いた問題解決を、作物の栽培を通じて学生に伝えていけないか?と考えています。